2013年11月26日火曜日

進撃の巨人

面白い!!
今、日本で一番売れてる漫画!

最初は取っ付きにくいストーリーってのがまたウケてるのかもしれないですね。

エヴァンゲリオンの様な、“未知”要素たっぷりで、毎回新話の度にわくわくしちゃいます。

アニメサイトへのリンクを貼りたいのですが…自粛しておきます。



2013年11月25日月曜日

ロバート・キヨサキさんの影響

私は影響を受けやすい人間だと思います。

いい影響の時もあれば、悪い影響の時もあります。



今回はロバート・キヨサキという方の影響です。

ビジネスに精通している方であれば当然ご存知だと思います。

私も、24歳のときにこの方の著書を読んでから、強く影響を受けています。




ですが、私の悪いクセその2。

世界の全てがソレであるかのような錯覚を起こす。

結構、凝り性でハマり症なところがあるので、著書なんかも全て揃えたくなったり、集めて納得しちゃったり…

ホントに悪いクセですね(笑)



ネットでロバート・キヨサキさんの顔なんかを検索していると、いろいろと関連ワードなんかも出てくるものです。

検索上位は「ロバート・キヨサキの嘘」
こういう記事を書いておられる方は尊敬します。
物事を多方面から見ることができる人です。


本というのは、全面肯定ではなく、「自分を活かすための知識開発」と捉えるべきでしょう。



なによりも、本を読んでいる最中って、凄くいろんなことを考えます。
私は、読んでいる最中には必ずメモを取るようにしているのですが、そのメモが実は大きなヒントだったりもします。

メモには、本の内容に関係ないことばかりが書かれています。
どういうことかというと、読んでいる最中に思い出したことなんかを書いているんですね。

「あ、あれやんなきゃいけなかった」
とか、
「コレ検索してみたいなぁ」
とか。

私にとって、読書の醍醐味はコレでしょう。





タナカユウイチ

2013年11月22日金曜日

点と点を線に…

ふと、思ったことがあって、書き殴っていたメモがあります。

時間が経って見てみても、「うーん、そうだな…」と思ったので、そのまま書き写して、考察していきます。

【以下】
たくさんの技や知識を持ってるのに…結局は時間を売ることでしか生活できないのか?
恥ずかしい…。
一生懸命なにかに没頭してる時には気付かないのに、急にひとりになると裸な自分に気付く。
進んでるようで進んでなかったことに気付く。
これって多分、点と点が線になってないんだ。
ココさえ上手になれば、一段上に上がれるのに!!
知恵を絞れ!!


と、こんな内容なんですが。
解る方にはいとも容易く解る内容であり、そういった方に見られるのは正直恥ずかしい内容です…。

が、今回のメインは“考察”であり、自分自身がこの文章を書くことによって、何かを見付けられたら。と、考えています。




点と点を線にする


現状では、点が孤立している。
ひとつ、大きな点があったとしても、それはまだ点に過ぎない。
いわゆる「器用貧乏」というものかもしれない。

点を線に
少しづつでも良いから点と点を繋げる作業をすることで、更にひとつの技能が活かされるようになる。
この作業が私がヘタなところであり、課題だ。



また後日…

利己的 【追記待ち】



この文面では、すごくコミカルに描かれていますが、科学者の中で物凄い抗争が起きているのだとか…。

読んでいただければわかると思うのですが、“人類の研究の為に生き物の命を粗末にするのか!!”という「ごもっとも」な内容なんですが、コレって随分と昔から言われ続けていることです。

日本でも何度も何度も問題に挙げられて、小学校の教育でも学んだような内容です。(今もこういうのはあるのかな?)

今になって、すごく身近に感じる問題です。
そう、ダイバーだからです。

ダイバーというのは水中生物にとても近い存在です。
実際、私にとっても水中生物は昆虫や、犬猫よりも身近に感じます。
この、“身近感”がきっと問題なんだと私は思います。

「麻痺してくる」という感覚ですが、ここまでは安全とか勝手に決めちゃうことってあります。
「この生物はこういう生態だから、触っても大丈夫」とか。

生態を知ってて、最も身近な人間がこうなって良いものか!?
ん~...
私は良いような気がするのですが…。



あ、誤解をされないようお願いします。
傷付けても良い、と言っているわけではないのです。

もっと、交流することは別段問題ではないのでは?
というとです。

もちろん、ダイビング協会は非常にシビアな意見を出してきます。
『触るなんて言語道断!!!』ってなもんです。
でも、コレって、車で言うところの自動車学校の教官が言ってるようなものでしょ?
なんだか、破りたくなっちゃう…(コラコラw)

そういうことではなくて(笑)



続く

2013年11月17日日曜日

このブログついて

これからは途中のものも、一旦アップすることにします。

タイトルはもっと解りやすくして、過去のものも頻繁に更新するために、検索もしやすくしていきます。

気になるタイトルがあれば、どうぞ定期的にチェックしてみてください。
また、リクエストがあったタイトルに関しては、時間を作ってでも掘り下げていきたいな、と。

こんな具合で、内容がどんどん深くなっていく予定です。

この場所で、デザインのこと、海のこと、世界のこと、どんどんお話しできたらな、と思ってます。

より一層の御愛顧、よろしくお願いします。




セノーテ(メキシコ)


凄い!凄いぞ!!セノーテ!!!



今ではすごく有名な水溜りです。
私が知ったのは、イッテQです。
デヴィ夫人とふかわりょうさんがここでカレンダー撮影をされていました。



この水溜り。
水の透明度が良過ぎて、神秘的過ぎる写真が撮れます。
と、いうよりも、“ここでこの写真を!”という発想に行き着いた、この写真家さんの勝ちですね。

素晴らしい!!

美し過ぎる!!



私も、こんな写真を撮りたいなあ…。
と、また欲張っちゃいますが、こういった場所でモデルさんを使って撮影出来る環境づくりの賜物ですね。

一度は潜ってみたいものです。




2013年11月7日木曜日

Macと小学生


もう、こんな小学生でもMac使うんやな。
いや、こんな小学生でも使えるMacが凄いのか。

最近、無性に“旅"に出かけたくなります。

「伊藤研人さん」という方がいらっしゃるのですが、この方は和服を着て、長髪。
所謂、サムライスタイルで世界中を旅してらっしゃいます。



この方の放浪記はとてもおもしろく(現在Facebook上でしか公開していないようです)
サムライスタイルが幸を呼び、世界中のいろんな方々に愛されているよいです。

このことの何が良いかって、写真です!
伊藤さんが撮る写真の中には残念ながら、私の思い描くものはないのですが、(いや、逆に私のオリジナリティの余地が残されていて良いとも取れるのですが。)このスタイルでこそ撮れる写真があるなぁ、と思わされる次第です。

私の撮りたい写真、というのはナチュラルです。
画面の中には、私は必要ありません。(もちろん個人的には欲しいのですが笑)
人物を撮った写真というものは、本当にその人にしか撮れない“空気感"が出てると私は思います。

怖そうな人がレンズを向ければ、向けられた表情は曇ります。
逆に、親しければ親しい程に表情は解れていきます。

私が目指すものは後者の写真です。
“本当の姿"を残したいのです。
そして、それを広めたい。

嘘や偽りで固められた観光地を観たいわけではないのです。

その土地で、一生懸命生きている姿を捉えたい。
ヌルくなってしまった日本人に思い出して欲しい。
世の中には、まだまだ変われる余地があることを。

そういう旅に出たいのです。
感性を磨く旅。




2013年11月2日土曜日

脳内戦争

久々に新聞をゲットしまして、ゆっくりと字を読みました。
やっぱり生の文字は良いものです。
直接頭に入ってきます。

ひとつ、気になった記事がありました。
“殺人ロボ規制協議へ”
この記事の内容を要約すると、無人の戦闘機で爆撃する、というものを規制する。
と、いうことです。(この爆撃機のことをこの記事の中では“殺人ロボット”と呼んでいます)
無人でリスクを犯さずに攻撃することを「国際人道協会」が反発。
と、いうことですね。

「国際人道協会」
なるものがあることにも驚きですが、この協会が世界にどれほどの影響力を持っているのでしょうか。

この記事、いろいろと突っ込みたいこと、ありありです!
まず、人道的に言うのであれば、無人だろうが有人であろうが殺人はどうなのか。ということ!
次に!そもそも、最早この情報社会において、戦争で人を殺すことに何の意味があるというのでしょうか。

恐らく、戦争の目的はテロや情報そのものであり、そこさえ掌握してしまえば問題ないのではないか?
(アメリカのように、戦争で稼いでいる国は別ですが…)
(いや、実際の問題点はこの国でしょう)



近い将来、我々がイメージする“戦争”はなくなるでしょう。
きっと、コンピュータの中だけで戦争が行われるようになります。

身体を鍛えまくった軍人よりも、分厚い眼鏡をかけた青白い青年の方が100倍の戦力になる日が来るのでしょう。

もっともっと時代が進めば、いよいよ人間なんて必要なくなるのかもしれませんね。
“情報”だけがあれば、全て成立してしまうような…そんな世の中がやってくるのかもしれません。

身体は必要ではなくなり、脳だけが進化して。
身体がなければ食事も必要なくなり。
コンピュータの中で姿を具現化して、世界が完結するのでしょう。

私は、その世界の外で農作業しているかもしれません。
その世界を覗いてみて、違うなと、きっと感じることでしょう。

大半の人が“今は”そう思うかもしれません。
ですが、実際にそのような世界が訪れた時、大半の人が違和感なくその世界の住人に成れるでしょう。
私は、そう思います。

何故なら、今までも今この時も私には違和感だらけのことを大半の人が受け入れているからです。

テレビを見ることに違和感を持ったことは?
ニュースは真実を映し出していますか?
今、やっている仕事は?本当に世の中に必要な仕事ですか?
通勤に電車で片道30分。一年でアナタは何日電車の中で過ごしているのですか?

私は全てに違和感を感じます。
あなたは感じませんか?



ニンゲン 【追記待ち】

もしかしたら今までは気付かないうちに、すごく恵まれた環境に居たのかもしれない。

もしくは、自分が選択してきた道が自分のオリジナルだったため、自然と淘汰されていたのか。

人間は人間と共生している。
必ず、他者と関わっているわけだが、その他者というのが問題で、それぞれ独立した考え方を持っているわけだ。

動物の本能のそれとは全く違う。

その考え方があまりに違うと、会話が成り立たなかったりする。
相手の言っていることの真意がわからないからだ。

私の周りに居る人たち(私がこれからも付き合っていくことを選んだ人たち)はみなまで言わなくても要点だけで会話ができる。

別に専門的な会話の話をしているわけではない。
一般的な日常会話のレベルだ。

これが、全く会話にならない人たちがいるわけで、その人たちと同じ会話をしようとすると、何倍もの時間が必要なわけだ。

ひとつ思うことは、このレベルになると、最早同じ人種とは言えないのではないか?ということである。

私は外国人の方が考え方が合ったりする。
ということは育ってきた環境とかではないことがわかる。

会話にならない方の人たちは吸収するものが違ったり、普段、見ているものが余りにもかけ離れているのではないか?
そんなことを思ってしまう。

が、あちら側から見ると、変わっているのは私の方なのだ。

一体、多くの日本人はどうしてしまったのだろう?
教育の問題か?
真相を知りたい。